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東京高等裁判所 昭和53年(う)2037号 判決

被告人 マリアこと福岡しのぶ

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人藤田謹也提出の控訴趣意書に記載されたとおりであり、これに対する答弁は東京高等検察庁検察官検事今野健提出の答弁書に記載されたとおりであるから、これらを引用する。

控訴趣意第一及び第二について。

論旨は要するに、原判決は、罪となるべき事実として起訴状記載の公訴事実どおりの事実を認定しているが、右認定事実は、犯罪の日時・場所及び方法が特定されているとはいえないから、原判決には刑訴法三三五条一項の理由を付さない違法がある。また、本件起訴状記載の公訴事実も訴因としての特定に欠け、同法二五六条三項に違反するから、原審としては、同法三三八条四号により公訴棄却の判決をすべきであつたのに、右のような不特定の訴因について有罪判決をしたのは、訴訟手続に関する法令に違反した違法があるというのである。

そこで検討すると、記録によれば、本件起訴状記載の公訴事実は、「被告人は、法定の除外事由がないのに、昭和五三年二月中旬ころから同月二二日ころまでの間、東京都内において、覚せい剤であるフエニルメチルアミノプロパン若干量を自己の身体に施用し、もつて覚せい剤を使用したものである。」というものであり、原判決が認定した罪となるべき事実は、右公訴事実と同一であつて、これらはいずれも犯罪の日時・場所及び方法につき幅のある表示しかなされていないことは所論のとおりである。

ところで、刑訴法二五六条三項が訴因の明示を要求している趣旨は、審判の対象を限定するとともに、被告人の防禦の範囲を示すことにあるが、元来犯罪の日時・場所及び方法は、これらの事項が犯罪の構成要素となつている場合を除き、本来は罪となるべき事実そのものではなく、訴因を特定するための一手段に過ぎないのであるから、犯罪の種類、性質等の如何により、これを詳らかにすることができない特殊事情があるときは、右法の目的を害しない限り、ある程度幅のある表示をすることが許されないものではない(最高裁判所大法廷昭和三七年一一月二八日判決、刑集一六巻一一号一六三三頁参照)。そして、刑訴法三三五条一項所定の罪となるべき事実の記載は、それが刑罰法令適用の基礎となるべき事実を明らかにする目的を有するとともに、公訴時効の成否、管轄の存否、刑罰法令の適用の当否、右事実と訴因との同一性の有無及び既判力の及ぶ範囲等を明らかにする機能をも有するものであるから、犯罪の日時・場所及び方法につき具体的に特定してなすべきものであるけれども、右目的機能を害さないかぎり、ある程度幅のある表示をしても判決理由に不備があるとはいえない。

そして、本件のような覚せい剤の自己使用罪は、犯罪の性質上行為の相手方や被害者等はもとより存在せず、目撃者等も少ないのが通常であり、したがつて尿の鑑定等により覚せい剤の自己使用の事実が証明される場合でも、使用の日時・場所及び方法の具体的詳細の点は、通常被疑者ないし被告人の自白に頼らざるを得ないものである。そして、記録によれば、被告人は、昭和五三年二月二二日捜索差押許可状に基づいて自宅の捜索を受け、注射針付き注射筒一本を押収されたが、同日警察官の求めに応じて尿を任意提出し、右尿の鑑定の結果、尿中に覚せい剤であるフエニルメチルアミノプロパンが検出され、被告人の覚せい剤使用の事実が明らかとなつたため、同年二月二〇日ごろ覚せい剤を自己使用したとの被疑事実について発せられた逮捕状により、同年三月四日逮捕されたのであるが、逮捕後の取調べにおいて、終始被疑事実を否認し、かつて覚せい剤を注射して使用していたことはあるが、それは同五二年九月ころまでであつて、その後は一度も使用していないと主張し、尿の鑑定結果を示されても、当時シンナーを吸引していたため、これが尿中に検出されたのではないかなどと不合理な弁解をしていたものであり、犯行の日時・場所及び方法について、これを具体的に特定するに足りる証拠が発見できなかつたことが認められる。右のような本件の捜査結果に徴すると、本件については前記の特殊事情があるものというべきである。

しかも、記録によれば、検察官は原審第一回公判期日において、起訴状記載の公訴事実につき、(一)昭和五三年二月中旬ころとあるのは、二月一〇日から二〇日までを指し、これに一両日の幅を持たせてころと表示したものであること、(二)施用した回数は、右期間中の一回であり、複数回使用したとすれば、その中で同五三年二月二二日午後一時一五分の直近の一回を指すこと、(三)フエニルメチルアミノプロパン若干量とは、通常の使用者が使用する注射一回分という趣旨であり、概ね〇・〇二ないし〇・〇五グラム程度の量を指すこと、(四)施用したとは注射して使用したという意味であること、をそれぞれ釈明しており、右起訴状の記載と併せてみれば、本件公訴事実によつて検察官が審判を求めようとする対象はおのずから明らかであり、被告人の防禦の範囲も限定されているものというべきである。したがつて、本件訴因が犯罪の日時・場所及び方法につき幅のある表示をしているからといつて、その特定に欠けるところはないと認められる。

そして、原判決における右のような本件の表示方法によつても、刑罰適用の基礎となるべき事実、公訴時効の成否及び管轄の存否及び刑罰法令適用の当否につき疑問を生ずるものではなく、既判力の範囲についても識別が可能であると考えられる。したがつて、刑訴法三三五条一項の罪となるべき事実の判示としても欠けるところはないと認められる。それ故原審の訴訟手続には所論の法令違反はなく、原判決に理由を付さない違法があるとも認められない。論旨はいずれも理由がない。

控訴趣意第三について。

論旨は要するに、被告人は、捜査段階及び原審公判廷において、一貫して本件公訴事実を否認しており、原判決挙示の証拠を総合しても、被告人が公訴事実記載の期間内に覚せい剤を使用したことは証明できないから、被告人は無罪であるのに、原判決が被告人を有罪としたのは事実を誤認したものであるというのである。

そこで検討すると、原判決挙示の証拠によれば、被告人は、前記のとおり、昭和五三年二月二二日、捜索差押許可状により自宅の捜索を受け、所持していた注射針付注射筒を押収され、同日尿を任意提出したものであるが、安藤皓章作成の同月二七日付鑑定書によれば、右尿中から覚せい剤であるフエニルメチルアミノプロパンが検出された(なお、原審証人松重忠雄の供述によれば、被告人を同年三月四日逮捕した際、被告人の腕関節内側に注射痕が三ないし四か所あつたという)ことが認められ、これによれば、被告人が、右二月二二日から遡つて覚せい剤の排泄期間内に覚せい剤を使用したことが明らかである。そして、原審証人安藤皓章の供述によれば、覚せい剤の使用後、これが尿中に排泄されるのは通常四八時間以内であり、とくに排泄速度の遅いものでも最大限一〇日位であることが認められるから、被告人が本件公訴事実記載の期間内に覚せい剤を使用したものと認定することができる。右安藤証人は、警視庁捜査研究所主事として覚せい剤研究に従事するものであつて、その証言は信用するに足るものと考えられるが、右認定に反する被告人の供述証拠は右証拠と対比して信用できない。

所論は、右認定に対する反論として、覚せい剤の慢性中毒者等の場合、覚せい剤が体内に蓄積され、著しく排泄速度が遅くなることがあり得ると主張するが、所論にかんがみ当審において取り調べた各文献も所論を裏付けるに足りないことが明らかである。また所論は、右安藤皓章作成の同年三月八日付鑑定書によれば、被告人が同年三月五日に任意提出した尿からも覚せい剤の含有が推定されたというのであるから、被告人の場合覚せい剤の排泄速度が著しく遅いことが明らかであると主張するが、被告人が右二月二二日から同年三月四日に逮捕されるまでの間に覚せい剤を全く使用しなかつたとは認めるに足りる証拠がなく、従つて所論の結論には必ずしもならない。次に所論は、被告人は本件公訴事実記載の期間内にエフエドリン系の物質を含有する感冒薬等を使用していたので、これらの物質が覚せい剤に変化して鑑定の際検出された疑いがあると主張するが、右安藤証人の原審における供述によれば、エフエドリン系の物質と覚せい剤とは鑑定の際明確に判別することが可能であるというのであり、他に所論を裏付けるような証拠は全く存しない。それで、右各主張は採用できず、他に前記認定を左右するに足る証拠はない。

以上のとおりであるから、原判決には所論の事実誤認はなく、論旨は理由がない。

そこで、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却し、当審における訴訟費用については、同法一八一条一項但書を適用してこれを被告人に負担させないこととし、主文のとおり判決する。

(裁判官 環直彌 齋藤昭 小泉祐康)

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